100の「キレイゴト」より1の「沈黙」

October 9, 2017

今日のぼやきのテーマ

 

「言葉」とは何だろうと、いうこと。

最近よく考えます。

 

 

言葉とは行動、行為であり

その言葉と事実がともなっていないと信頼を失うキッカケにもなりかねません。

 

言葉はたんなる装飾ではありません。

責任をともなるものです。

 

 

よくあるのが

 

「応援してるよー!」

といっておきながら

 

実際とやっていることがまったく違っている人とは信頼関係はなく、たんなる社交辞令だったということです。

 

 

表面的な仲良しこよしをずっと続けることも人によってはあるかもしれません。

 

しかし

何事も二面性なので表面的にうまくいっているように見えれば見えるほど、大きく、悪い面が必ずあります。

 

残念ながら、極端であればあるほど、糸がキレたときに跡かたもなくなってしまうのです。

 

 

なので私は

本音を話したときの相手の態度によって、今後、社交辞令のままの相手なのか?本当に信頼関係を築いていける相手なのか?

判断します。

 

自分にとって痛いことだったとしても、本音を話してくれた人の意見は、ずっと信頼し、聞き続けます。

 

 

そういう意味では

無口だけど慎重に言葉を選び、言葉より事実を合わせようとする人は信頼できます。

 

 

 

 

 

人はキレイゴトに反応します。

 

そういう教えを取り入れたくもなるものです。

とくに極端であればあるほどに…

私もそういうときはあります。笑

 

 

よく、赤ちゃんは笑っているから楽しい

赤ちゃんは泣くから悲しい

というように

 

キレイゴトを言い聞かせていれば、そういう自分になれる…!

と錯覚してしまうのです。

確かに、ケースによってはそう捉えられるケースもあります。

 

感情とはもっとも大きなエネルギーの一つなので、うまく利用するのも良いでしょう!

それによって気分や考え方も変わったり方向性が変わったように感じることがあるのも事実。

 

 

 

 

しかし、あまりにそれをしすぎると、

実際はキレイな言葉より大事なことがある、というのことを忘れがち。

 

 

それに気付いてからは、

ケンカ(というか対話、議論です!)を必要であればしっかりするようになりました。

 

相手に本音の意見を言うということは、ある意味、相手への尊敬、敬意がないとできないことだからです。

 

というか、

「私はこう思ってしまうのですが、なぜそうなのですか?根拠、事実はどうなのでしょうか?」

といった具合で、、、「質問」なのです!

 

 

ただ、その時に気を付けなければいけないのが、

 

言葉選び。

 

自分のなかでまとまってもいないことを情緒に任せて言ってしまうのは、その言葉に意味は宿しませんし、誤解を生みますね…汗

間違って伝わったときには全責任、自分にあります。

 

 

 

 

 

だから

 

もっとも大事なことが

 

 

 

 

沈黙。

 

 

 

 

 

 

自分に質問するときも

 

まず

 

沈黙。

 

 

 

 

 

相手にかける言葉も

 

まず

 

沈黙。

 

 

 

沈黙は余計な先入観を与えません。

 

余計なフィルターを取っ払います。

 

純粋無垢にとらえることができるので、正しい真実や答えが見えてきます。

 

 

 

モーツァルトの魔笛のオペラに

恋人が結ばれるために与えられた試練が

「沈黙」

でした。

 

言葉を交わさずとも、わかる。信頼し合える。

 

 

 

たった一つの「沈黙」が100の「キレイゴト」よりも大事なことだということを、500年以上のも前から昔の人は知っていました。

 

 

 

 

 

 

多様性が認められる社会になり

 

人間社会はより複雑になり

なんとなく世の中が刹那的になってきたように感じます。

 

今さえ良ければいい

楽しければいい

どうでもいい…

 

そういう考えの人が増えてきたように体感します。

 

悪い意味でアメリカ的な個人主義になり、

みんなのため、組織のためより、自分のためでないと頑張れない。

 

 

みんなで協力して大きなものを創っていくことや、

自分が死んでから残るものの価値を考えることが

言われなくなってきたように感じます。

 

 

 

うちは昔から代々続く農家です。

 

祖父母や両親は見澤家を守るために、来る日も来る日も無条件に努力し、今日まで続けてきてくれました。

とくに母親は大変な苦労をしてきました。

 

そういう両親をずっと近くで見て育ってきたのは、私にとって幸せなことでした。

 

 

 

1人で成し遂げられることなんか

何一つありません。

1人で生きていけることも

何一つありません。

 

 

 

 

 

で、何なの?

 

というと

 

無色透明、純粋無垢に問題を黙視しときに

現段階で、正しいと思われ、出てきた答えを実践していく必要があると思っていて

 

それを変えていくのが難しい社会もあるわけです。

 

 

クラシック業界もその一つです。

特にレガシーな業界だからこそ、逆の要素を取り入れなければ

いつかは自然のバランスが崩れるときが来るのでは?と懸念しています。

 

というか、すでに崩れていると思うのです面もあるのですが…

 

 

(そのことについてはまた長くなってしまうので、別の記事に書こうと思います!)

 

 

便利なことも増えましたが、

大事なのはそういったテクノロジーやシステムを、なぜ取り入れるか?です。

 

時代の流れに乗る、というよりも

先を読み

取り入れていかなければ、問題意識もなくなり、取り残されていってしまいます。

 

 

怖いのが、中の人は決して取り残されているという意識がないことです。

 

 

 

いつの間にYoutubeが普及しCDが売れなくなった。

 

そのターニングポイントはいつだったのしょうか?

 

 

 

知らないあいだに絶対に使いこなせないと思っていた両親が、アップルのスマホを使いこなしていました。

 

そのターニングポイントはいつだったのしょうか?

 

 

 

必要によって取り入れることで、問題が解決される可能性が大きくあります。

 

 

 

そういえば、ターニングポイントはいつだったんだろう?

とならないために、

 

まだよく理解はされないかもしれませんが、

一歩踏み出すことをやってこうと思ってます!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Sayaka.

 

 

 

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